哲学をビジネスに。-思考武器の育成-

哲学、もっと言うとリベアルアーツ、教養を身につけることでビジネスで活躍、より生きやすくなる人を生産していきたい。

哲学入門-簡単に説明する有名哲学者5選-

やって参りました。哲学者多すぎて分からへん子羊の時間です。今日もサクッと重要な人物だけ纏めてみました!

 

アリストテレス(紀元前384年~紀元前322年)

全ての人にとっての友は、誰の友にもなれない。

(A friend to all is a friend to none.)
—アリストテレス

アリストテレスといえば、プラトンの弟子です。ソクラテスの弟子のプラトンの弟子の弟子がアリストテレスですね。
((

プラトンってだあれ?ハイブラの名前?と思った人は以下を。

)

アリストテレスは「万学の祖」と言われ、論理学、天文学、生物学、弁論術、詩学などかなり広く知識を体系的に纏めた哲学者です。


沢山調べて学問を学んでいたアリストテレスですが、それだけでなく学問の素となる「物事の考え方」を立ちたてました。

これはどういうものかという、共通する「存在」「実体」「本質」についての探求であり、そもそもそれはなんですの?という考え方です。

人間について研究する場合は、そもそも人間ってなに?
飛行機の飛行時間を延ばす研究であれば、そもそも浮力ってなに?
といったことを理解しておかねばということです。
空飛ぶ飛行機 モノクロ フライトのフリー素材・無料の写真 | 1920 x ...
そんな難しいアカデミックマニアなアリストテレスもすごくヤンキー漫画のような阿智心情を持っていたりします。(マイキー派です)

冒頭にあげた名言の中でも、誰からも好かれるような八方美人をしている人間は表面上は中心にいてるように見えているだけで、実は誰からも好かれていないよね、ということを書いています。

人情深く、それでいて勉強熱心なアリストテレスはさぞモテたんでしょうね。(羨望のまなざし)


ルネ・デカルト(1596年~1650年)

我思う故に我あり

(I think, therefore I am)
—ルネ・デカルト

デカルトと言えば有名なのはなんと言っても以上の名言(これ聞くとルカリオの波動は我にありを思い出しちゃう)

デカルトは一見正しいように見えるすべてにおいて疑って(メンヘラ彼女のように)最終的に疑いようがなくなればそれが真理だという方法的懐疑を提案。

好きなあの子は本当に昨日好きだったあの子なんだろうか?ここにあるコーヒーカップは本当にここにあるのだろうか?一日は24時間を言っているが本当に24時間なのだろうか?

まーちんのコーヒーと映画:『コーヒーをめぐる冒険』とドイツの風景 ...


などなどあらゆることに挑戦していったんですね。そして何もかもわからなくなって発狂していたところ一つだけ正しいことが分かったんですね心理が一つだけあるじゃないかと。


それがかの有名な「我思うゆえに我あり」つまり、見えるもの、感じるもの全てに疑う余地があるとしてもただ一つ、疑っている私がここにあるという事実だけは疑う余地のない真実である。ということです。


痺れますねー。なにもかも真理かは分からないけど、今そんなことを考えているのだからか自分はいるでしょう!と普通おもいつかないですよね。

そんな心理・思考を追究していデカルトは、心身二元論という理論の第一人者でもあります。ただこれかなり複雑になるので別記とします。

ストイックに自分を見つめなおした自己分析の究極系とも言えるデカルトは近代哲学の父として名をはせているのでした。

 

トマト・ホッブズ(1588年~1679年)

国家は必要なのは、
人間が生まれつき悪だからではない…
人間が本質的に社会よりも
個人主義的であるからだ。

(Government is necessary, not because man is naturally bad... but because man is by nature more individualistic than social.)
—トマス・ホッブズ

 

ホッブズ、皆さん聞いたことありますか?実は有名な「リヴァイアサン」という著者がこのトマトなんです。(イタリアっぽいけど出身はイングランドです)

遊戯王やゲームでも度々竜のような怪物として登場しますが、まさにこれです。

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 ホッブズは本著で「国家論として、国というものはこういう風にできているよねー」ということをとてつもなく長く書いているのですが、かなり纏めると、国民は放っておくとすぐ喧嘩するからある一定数のルールなどを国に取り仕切らせて、その中で営むのがいいよねと書いています。

つまり、国=リヴァイアサン(怪物)と社会的契約をして、生きる為の権利を委託することで最低限の安全を保障できるよね、ということです。

なるほどー。国がなく自由奔放に生きていたサピエンスの時代と科学的で文明として生きている人間、ではこの社会契約論の元に立脚しているのかーと妙に筆者は納得しました。

そんな壮大なスケールな著作がある彼ですが、とある数学の問題の解を見つけたぞ、と公表したがそれが誤っており数学者とバチバチに論争に発展しました。

とうとう死ぬまで自分の過ちに気づけなかったのは頑固でお茶目な一面かもしれません。


シャルル・ド・モンテスキュー(1689年~1755年)

真に偉大な人間になるには、
人々の上に立つのではなく、
彼らと共に立たなければならない
(To become truly great, one has to stand with people, not above them.)

—シャルル・ド・モンテスキュー

モンテスキューは人間本来の思考や性質を深く理解しようぜ!という思想を唱えた一人です(啓蒙思想)

教会や宗教のような超自然的なものをそのまま放置せずに、自分たちの理性でしっかり把握していこうぜ、ということです。(おおこれは神の思し召しじゃーという理屈なしを辞めようぜという話)

この啓蒙思想はまさしく、貴族や聖職者などの権力独占組をぼこぼこにするフランス革命などにも通じる歴史的転換点ともいえます。(結局ここで勝ち取った資本主義的思想は現代にも引き継がれている)

そんな一大ブームを巻き起こした現代でいうヒカキンのような人間ですが、実は人生哲学としてもかなり有力な名言を幾つか残しています。


この世で成功するコツは、
馬鹿のように見せかけ、
利口者のように行動することである。

多くの場合、成功は成功するまでの
所要時間を知っているか否かにかかっている。

ただ幸福になりたいと望むだけなら簡単だ。
しかし他人よりも幸せになりたいというのならば、それは困難だ。
我々は、他人はみんな実際以上に幸福だと思っているからだ。

イマヌエル・カント(1724年-1804年)

動物を残酷に扱う人は
人間関係においても辛くあたる。
私たちは動物への接し方によって
その人の心を測ることができる。
(He who is cruel to animals becomes hard also in his dealings with men. We can judge the heart of a man by his treatment of animals.)

—イマヌエル・カント

 

動物に関する名言があるので「イヌマエㇽ」と呼んでしまいがちなのですが、イマヌエルなのでお間違いないように、笑

名言はまさしくですよね。筆者もかなりの動物好きなので賛成です。動物に対して優しい人は本質的には人間にも優しい傾向があるなと思います。

もちろん人間には理性があり、言語を司るので、過去の嫌な経験があって壁がある人もいますが動物好きは根源的には優しいですきっと(経験則的に)

さて、そんな名言からも人の好さがあふれ出ているカントですが、実はかなり凄いことを成し遂げた哲学者なんです。

主著には『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』という三つがあるのですが、理性の関心とは、突き詰めれば「人間とは何か」であり、その問いは「私は何を知りうるか」「私は何を為しうるか」「私は何を望みうるか」の三つに分けられます。

それぞれの問いが『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』に対応しています。なかでも『純粋理性批判』は、「形而上学を葬り去ることではなく、形而上学を学問としての基盤の上に打ち立てるための準備作業のようなもの」と位置付けています。

難しいですが、要するに、人間ってなにか分かってる?人間ってなんで生きているの?人間って何がしたいの?について固定観念を覆すような理論を提唱したのです。

そんなカントの生活は、日々起床から就寝まで、規則正しい日課に沿って生活していたことでも知られています。

カントの1日は、早朝に起床、自宅で少し研究をした後、大学で講義を行って帰宅、人を招いた食事会、そして常に決まった時間に散歩をしていました。

散歩の時間もあまりに正確だったため、人々はカントの姿を見て時計の針を直していた……、という逸話もあります。

自分に厳しく、道徳的で、勉強熱心だからこそ偉業を成し遂げられたんだろうと思います。

哲学入門-簡単に説明する有名哲学者3選-

哲学で一番ひええと思うのはその哲学者の名前の多さ。だんだん名前が覚えられなくなって崩壊して「もう哲学なんて読まないもん」となった人も多いはず。

そこで今回は憶えやすいように紹介をしてきます。

ヘラクレイトス(紀元前540年頃~480年頃)

同じ川に二度入ることはできない。
なぜならその川に再び入った時、その流れも人も既に変化しているからだ。

(No man ever steps in the same river twice, for it's not the same river and he's not the same man.)
—ヘラクレイトス

古代ギリシャの自然哲学者です。「万物は流転する」の言葉でよく知られています。当時変人だと思われていた彼は、病気を患いそれを自分で治そうと牛糞にまみれて死亡した、という逸話があります。(可哀そうすぎだろ)

「万物は流転する」という言葉について、ヘラクレイトスは「火」と表現しています。同じ「火」でありながらゆらゆらと全く同じ姿を保たない状態が、まさに一時一時で同じ時間は二度とないことと似ていると理解したんですね。

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もう一つ有名な言葉に、同じ川に二度と入ることはできない、というものがあります。こちらも一瞬前の状態から川は流れ変わってしまい、自分という存在もまた細胞が入れ替わり同じ状態でないので同じ川はない、ということらしいです。

わからないでもないですが何言ってんだこいつ、って感じですよね、当時同じように思った哲学者がいたらしく、名をパルメニデスといいます。(パルメザンチーズみたい)

パルメニデスは、時が移ろおうが、川という概念は存在するものであり、存在し続ける限り変化はしない、とヘラクレイトスを批判しました。

これは、変化する、ということは元の状態が消滅して他の存在になることを指す為、変化しながら存在する、というのはあり得ないわよ、ということですね。

ヘラクレスオオカブトVSパルメザンチーズ、皆さんはどちらを応援しますか?

ソクラテス(紀元前469年~399年)

ただ一つの真実の知とは、
あたなが何も知らないということを
知ることである。

(The only true wisdom is in knowing you know nothing)
—ソクラテス

めちゃくちゃ有名ですねー。ソクちゃん、当時のBTSと言っても過言じゃない(過言)

良く知られているのは、無知の知です。ある日偉い人から「あんたより賢い人は一人もいないわよ」と言われて大喜びするかと思いきや、「そ、そんなことはない///」ということで自分より賢い人探し始めます。

政治家や詩人などあらゆる人に声をかけては、「あなたは本当に物事が分かっているのか?知っていることはどういうことだ?生きているというのはどういうことだ?」と問答を始めます。(ギリシャ版ひろゆきじゃん)

    離婚寸前の夫婦が漁村で愛の対話を重ねる…ヌーヴェルヴァーグの先駆と ...

そして、そんなひろゆきを前にあらゆる賢人はなぎ倒され恥をかいていきました。((〃ノωノ))


そんな姿をヒーローと思った若者はソクラテスの真似を始めますが、この影響力がよくない影響をもたらせている、ということで死刑を言い渡されます。

友達が助けにくるも、「いやいや吾輩はこの運命を受け入れよう」ということで最終的には毒を飲んで自害します。

そんなこんなで、「知らないことを知っていると思い込んでいる人よりは、知らないことを知らないと自覚している人の方がより賢い」ということを悟ったということです。

 

プラトン(紀元前427年~紀元前347年)

現実は心によって創造される。
私たちは心を変えることによって
現実を変えることができる。

(Reality is created by the mind, we can change our reality by changing our mind.)
—プラトン

ソクラテスの弟子にあたり、イデアを重視した人物です。イデアとは何か、最上級の概念であり、一番理想の概念とされています。

はいー意味が分かりませんと思われたそこの貴方にわかりやすく説明すると、例えばコンパスを使って〇を書いたとします。(懐かしいコンパスの響き、シャーペン型のコンパスにあこがれたな)

でもこれ厳密に言うと綺麗な〇ではなくがたがたしていますよね。でもイデアでいうところの〇は、一寸の狂いもなくパーフェクトサークルなんです。それがイデアです。

プラトンによると、イデアを現実世界に写実した不完全ない物質で実社会は成立しているということです。

難しいですね。アレルギーが出てしまうので、そういうものがあるんだな、ということだけ覚えてもらうだけでOKです。

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では、プラトンの唱えた名言も幾つか紹介します。

賢者は、話すべきことがあるから口を開く。愚者は、話さずにいられないから口を開く

親切にしなさい。あなたが会う人はみんな、厳しい戦いをしているのだから

あなたの悲哀がいかに大きくても、世間の同情を乞おうとしてはならない。なぜなら、同情の中には軽蔑の念が含まれているからだ

哲学者の中でも政治などに関心があった彼は統治するための人民の心得などの名言が多い気がします。

寛容的なその姿勢が現代社会でも通ずるものが多く、学ぶに値しますね。

5分で哲学-自動政府-

「おい、聞いたか。昔はお偉いさんが政治を取り仕切っていて、法律や経済などを動かしていたらしいぞ。」

「おいおい、それは本当かよ。そんなので国が回るのか?今ではコンピュータが国民全体の幸福度が最適になるように自動計算して、法律も金利も税金も決定しているが、それも膨大なデータを蓄積しているからこそだ。人間のちっぽけな脳みそではそんなデータは入らないし、何をもって決めていたんだ?」

「全くそうだよな。でも昔の人はどうやらコンピュータに任せるのを管理されているみたいで嫌だと思っていたらしい。でもその代わりより人間が杜撰な管理をしているから一回破産したらしいぜ。」

「コンピュータが得意なことは任せればいいのに、皮肉なもんだな」

アニメ「サイコパス」に始まりジョージウォーエルの1984年などディストピア社会を描いた作品は枚挙にいとまがない。

サイコパスではまさに人工知能が犯罪係数という犯罪者へのなりやすさや適性を見極め職業や犯罪者予備軍を決定し、人間はそれに抗う術がない世界観を、1984年では全体主義的な中央管理的な世界観を描いている。

これらは人間の自由を損なう”悪”とされているわけだが、果たしてコンピュータが膨大なデータを解析して最適解を求める社会はよくないのだろうか。(1984年は国家独裁のナチを想起する為拒絶反応は仕方ないが)
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我々は常日頃からより良い生活や自分にあった服や仕事を追い求めている。誰かに”答え”を教えてもらいたいから占いが成立する。(占いっつーのは本当に当たるのか..?)

で、あればコンピュータ様に確実な答えを教えてもらい、従えば完全なる幸福にたどり着くのではないだろうか。

「いや、なんかより良い答えは知りたいんだけど全て分かってしまうのはそれはそれで面白くないよね」と思うのであれば不確実性の中で自分で選択ができる現代は幸福ではないのだろうか。

天邪鬼な人間は結局、今ある世界観から飛び立ち、未知の領域を好む生き物で、全てが最適にできる世界観でも全てが自由な世界感でも満足しないのかもしれない。

今の人生に満足していない人間が、もしもボックスを使って全く違う社会で1ヵ月過ごして戻ってきたら、とてもウキウキ過ごせるのではないだろうか。

 

功利主義-本当の全体最適とは-

哲学ってどうもわかりにくい言葉が多いのが実情である。(よく似た言葉多すぎんだよ)

そこで単純に語意説明ではなく、たとえ話なども使いながら理解していくことを目的に紹介していく。

本日の紹介は「功利主義」、ベンサムが唱えた全体最適主義のこと。

ジェレミ・ベンサム(Jeremy Bentham、1748年2月15日 - 1832年6月6日[1])は、イギリス哲学者経済学者法学者

ようするに、みんながよければそれでいいんじゃんという考え方(何かもめた時に多数決するあれ)

一見、これはすごく合理的で良い考え方に見えるが、実は話はそう簡単ではない。ここにはリスクがはらんでいる。排他的な立場が肯定され、画一化された社会へと導かれることにある。

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10人いる中9人が一致する意見があるのであればそれで、となるので功利主義の元では1人の意見は軽視される。

ただ、お分かりの通り、多数の意見が必ずしも正しいということはない。(でないと常識を疑う偉人の発見や過程は全て過ちだったというのか?)

多数の意見と異なる場合は弾劾裁判にかけられ否定されると「挑戦」に対してネガティブになり、発展への道は閉ざされる。

そしてこの功利主義は、一見正しく合理的にみえる性質のゆえに組織が大きくなればなるほど持ち出されて悪魔的な威力を発揮してしまう。

ただ、確かに個人の効用を多数化できる選択が吉とされるのであれば、1人の命より複数人の命を支持することが正しいかのように見える。こんな例はどうだろう。

軽症の患者が病院に運びこばれた。彼は通常の処置がされれば全く問題なく日常生活に戻れる。「急患です」突如10人の重病患者が運びこまれてきた。

なんと近くの工場で人為的なミスがあり、ガス爆発が起こったそうだ。ガラスが刺さり出血が多く、皮膚がむき出しになっている患者もいる。

このままでは全員助からないが、幸いにも全員重症患部が異なるので、移植処置により助けられそうなことが応急処置の中で発覚した。

病院長は言った。「これはまずいな、そういえば一人軽症な患者がいたな、彼には悪いがヒーローになってもらうしかないな」

さて、病院長は、軽症な患者を引き換えに、10人の患者を救おうと考えているが肯定されるべきだろうか。熱狂的な功利主義な彼には、1人の犠牲で10人が救われるのであれば全体最適に値すると考えている。

ただこれは正しくないように思える。ではなぜそう感じるのだろうか。ガス爆発が起きたことは運命で、罪のない軽症患者を悪戯に殺してしまうこと道徳的感覚に反するからだろうか。

無為自然に人工的なメスを入れることが直観的に許諾され得る事象ではないのであれば、我々の医療技術、テクノロジーは今後発展するべきではないのだろうか。

筆者紹介

はじめまして、努力する凡人です。ワクチン接種者も過半数を超えて”過去のこと”になるのも時間の問題ですね。マスク無しの生活にいつ戻れるのか楽しみです。

さて、簡単に自己紹介させていただきます。

出身大学:関西学院大学 理工学部
前職:採用のコンサルティング、古着の転売事業
現職:w2ソリューション(ECサイト構築のベンチャー企業)
業務内容:関西支社長として、営業、CS、導入サポートチームのプレイングマネージャをしています。
趣味:哲学と読書、映画鑑賞
保有資格:基本情報技術者、通販エキスパート1級、簿記3級等


大学の時はいわゆる意識高い系として、個人事業を開業して2B向けに採用のコンサルティングをしていました。

契約書すら持っていないし、原資もあるわけではないので、同業界の経営者をひたすら訪ねて色々助けてもらいながら何とか形にしていました。(人の心って温かいね感謝)
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ただ、採用畑はレッドオーシャンで、今後残るプレイヤーが決まっているように感じたのでテクノロジーの素養を身につけて他の分野で再度起業することにしました。

採用の仲介って、利益と思考に乖離が生まれやすいんですよね。求職者に寄り添って膨大な時間を使いすぎるとコストが溢れてビジネスとして成立しない。(大手の大量に流してその内何人かが受諾すればOKのモデルが結局強い...)

個人的な見解としては、リクルートさんが立ち上がった、情報格差があり、求職者に情報が何もなかった時代には仲介(メディアも含め)は価値があったが、誰でも情報をアクセスできるこの時代で仲介の付加価値は見出しいくくなっている。

つまるところ、テクノロジーではなく、対人コミュニケーションや力業ではもはや価値がなくなっている、というのが本音。

なので活路があるとすればデータ解析の精度を上げて、求職者の自己分析、適職の発見のサポートをする、そもそもプログラミングなど教育をしてスキルレベルを向上する、と言ったアプローチになってくる気がしますね。

というのが、大学の時に分かったので教育やキャリアに興味のあった私は人材に進まずにIT企業に入社している、ということなのです。

テクノロジーで課題をソリューションするビジネスを構築して、原資を作れて初めて、利益を追求せずにキャリアコンサルティング出来る。

人を助ける、ということに人一倍敏感な性格なので、将来的には国内でも国外でも困っている人を引き上げていくような余生を送りたい。でもだからこそ今は自身の力を高める方が優先、という仮説です。

どの分野の困っている人であれサポートできるように自分の知識レベルを引き上げるように、哲学、心理学、ファイナンス、マーケティング、行動経済学、脳神経科学、AI、多岐にわたるテーマで年間100冊~120冊ほど読書しています。

幸福、の定義が多様化している現代だからこそ、結局人を助け、徳を積み、同じような志の仲間と一杯お酒を飲めたら最高に幸せなんじゃないかと私は思うんです。

哲学入門-哲学とは結局-


ようこそ、初めまして。

このブログにたどり着いたということは哲学、という学問にそれなりに興味がある方とお見受けします。哲学は多解釈な学問であり、その性質ゆえいまいちよくわからない、というコメントはよく聞く。

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「哲学とはなんぞや?」という興味を多くの人が抱き、グーグルに聞いてみては、???になり速やかにスマホを閉じる。(こりゃ、お陀仏だ・・)

古代ギリシアでは学問一般を意味し、近代における諸科学の分化・独立によって、新カント派論理実証主義現象学など諸科学の基礎づけを目ざす学問生の哲学実存主義など世界人生根本原理を追求する学問となる。認識論倫理学存在論などを部門として含む。— 『広辞苑』第五版、岩波書店、1998年、「哲学」より

哲学について広辞苑の説明では以上に終始し、初学者にはかなりハードルが高い。

かみ砕いてみると「あんたなぜ生きるのさ」「人間とはどういう生物なんだろね」「国家とはどうあるべきか」など、一筋縄ではいかない疑問に対して改めて考えてみよう、というだけで実際難しい学問でもない。(まあ難しく書いている書籍も多いのだが)

昨今「人生哲学」と表した書籍も増えているが、それもいわゆる「生きている中で色々考えてみた所こういうことが分かったんでシェアするよ聞いて」というだけである。

個人的には、哲学という掴みどころのないワードはさておき、物事について深く考察して自分の考えをまとめる、というプロセスは思考力の鍛錬として有意義だと思う。大きく2点ある。

1点目は、現代は情報社会であり、あらゆる情報にアクセスできるからこそ改めてなんとなく知っている気にならずに本質的な洞察力を身につけることは情報リテラシーの醸成に役立つということ。

コメンテータが〇〇と言っていた、政治家が歴史事実について引用し演説していた

あー確かに最もらしく聞こえることもあるだろう。では果たしてそれは科学的根拠に基づき、拡大解釈されてはいないだろうか。

事実、ニュートンですら光の正体を暴けなかったし、ヒトラー率いるナチス党が起こした人種差別はやはり正しくないことは明らかである。

あらゆる哲学者や物理学者、時には国家を担う雄弁なリーダーでさえ、誤った思考を行うものなのである。

全ての物事において鵜呑みにせず、デカルトに倣い懐疑的に対応することこそ、情報社会に生きる我々現代人に必要とされる素養の一つと言える。

2点目は、冷静に物事を考察してみて、新しい発見をしてみたり、自分の見解を育成することで視野を拡大し、人生や物事を俯瞰的に捉える力が養われる点。

学生であれ、社会人であれ、自分や世界を見つめなおす時間を豊富にとれている人間はごく少数で、ほとんどは自分のやるべきタスクに追われ、疲れ切って眠りにつけばまた翌日も同じような時間を過ごしている。

哺乳類の中でもやたらと長い寿命を持ち(医療の進歩万歳っ)理性を持つサピエンスは、考えることで競争社会を生き抜いてきた。

犬はもし自分が鳥だったらどうだったかなとは考えないし、蟻もクジラみたいに大きかったら踏みつぶされないのになとは考えない。

サピエンスだけが唯一、多分に余白を残した人生を謳歌できる種なのである。

そんな特徴的思考を、ただ無意識的に生きることでボツにしてしまうのはもったいない(もったいないお化けが出るぞ)

身の回りや世界の動向に興味を持ち、調査し、自分の見解を持つサイクルを繰り返すことで広い心で世界というものを捉えられるようになるのである。

ただ、冒頭で述べた通り、何からが哲学で、何から手を付ければいいのか分からない、という人に向けて本ブログでは大きく4つのコラムがある。

➀「哲学入門」では哲学の面白さや哲学者の紹介をしている。まずは哲学者がどんなことを主張してきたのか、から勉強していけるコラム

②「人生哲学」では偉人の名言と考察を紹介している。そういう考え方もあるのか、と視野を広げるには良いコラム

③「哲学用語」では哲学で取り扱う用語の解説をしている。用語を切り口にすることで人の名前や年号などを気にせず概念インプットができるコラム

④「5分哲学」では思考実験を用いて、思考力を鍛えたり、柔軟性を育むのに適しているコラム

どこから着手してもらっても構わない。取組みやすいなと思うコラムから読み進めて、わからない箇所がでてくればその都度ぐぐったり、書籍を買うなりしてより理解を深めることで知的探求の楽しさを存分に味わってもらえると思う。(楽しいぞ!)

私がいいなと思った概念や思考を取り上げてはいるし、これからもどんどん拡充していくが、本稿があしがかりになればそれで充分だと思っている。楽しさや有用性に気づく人を増やせれば本望である。

さあまずは、5分哲学から始めてみよう。

 

ことわざで学ぶ人生哲学

さて、そんな今日はことわざから学ぶ記事を執筆。
ことわざって真理をついたものが多く、自分の価値観をがらっと変えてしまえるほどあてはまるものも実は沢山ある。

一方でわざわざぐぐるかと言うとそういう機会も少ないと思うので、お気に入りの世界のことわざ解説付きでお送りします。

 

 

1.フランスのことわざ

機会が人を見捨てるよりも人が見捨てることの方が多い

 

人は一日の中で9,000回もの決断をすると言われている。その中で自分の怠惰や癖によって機会損失してしまっていることがほとんど。人間は欲望に負けがち。(ダイエット中の食べてはいけないと思っているクッキーはおいしい)

 

人間には良くも悪くも学習能力があるため繰り返す行動は得意であるから、普段の思考の癖に偏りが生じ無意識のうちに似た選択をとるきらいがある。

例えば、いつも通っている通学・通勤電車、今日は休日だというのに無意識にいつもの方向のプラットフォームにたどりついていた、なんてこともないでしょうか?

他にも起きる時間、スマフォで一番初めに表示するアプリ、体の洗うパーツの順番、などなど無意識に繰り返しているもの。

なので自由に選択しているように見えて、実は習慣や癖により本来なら取り得た選択をみすみす逃してしまっている可能性がある。

そこで、ふとした瞬間にぜひこのことわざを思い出して、「今日はちょっと違ったことしてみよう」と、一挙手一投足意識してルーティンからあえて離れてみることで新しい機会が得られるかもしれませんね。

 

2.デンマークのことわざ

みんなからの忠告に基づいて家を建てると
出来た家はいびつになる。

 

何かなし遂げようとする時に誰かの意見を参考にすることは多々あるが、全く見当違いな意見をもらうことも多いにある。

そんな時に全部の意見を取り入れていると最終的にとんでもないへんてこりんなゴールにたどり着いてしまうよ、ということわざ。

だからこそしっかり目的を見据えた上で、誰の意見を取り入れて、誰の意見は取り入れない、と断る勇気を持つことが大切。

特に日本人は調和を大事にするので、中々断る勇気を持てない民族性はあるが、目的をしっかり決めた上で、何が必要か評価し、取り入れていくことが最短のルートだと改めて認識することが大事だと分かることわざ。

3.ユダヤのことわざ

他人を幸福にしようとするのは香水をかけるようなものだ。
ふりかける時に数滴は自分にもかかる。

 

この真意としては、人に香水をふりかけても自分にはたった数滴しかかからないが、それを厭わず善なることをしなさい、ということ。

人はその遺伝子構造上、自分のメリットを考えるようにできている。(それが社会的には打算的だと揶揄されるのは仕方あるまい)

ただ、メリットを追求しすぎると、組織に属して村社会を形成する我々サピエンスにとってはマイナスに働くことは大いにある。

なので、たった数滴しかかからないかもしれないが、そんなことは気にせずどんどんっ進んで利他的な精神を持ちなさい、ということ。

質素倹約、臨みすぎない心をよしとするユダヤ教らしい教えである。