哲学をビジネスに。-思考武器の育成-

哲学、もっと言うとリベアルアーツ、教養を身につけることでビジネスで活躍、より生きやすくなる人を生産していきたい。

功利主義-本当の全体最適とは-

哲学ってどうもわかりにくい言葉が多いのが実情である。(よく似た言葉多すぎんだよ)

そこで単純に語意説明ではなく、たとえ話なども使いながら理解していくことを目的に紹介していく。

本日の紹介は「功利主義」、ベンサムが唱えた全体最適主義のこと。

ジェレミ・ベンサム(Jeremy Bentham、1748年2月15日 - 1832年6月6日[1])は、イギリス哲学者経済学者法学者

ようするに、みんながよければそれでいいんじゃんという考え方(何かもめた時に多数決するあれ)

一見、これはすごく合理的で良い考え方に見えるが、実は話はそう簡単ではない。ここにはリスクがはらんでいる。排他的な立場が肯定され、画一化された社会へと導かれることにある。

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10人いる中9人が一致する意見があるのであればそれで、となるので功利主義の元では1人の意見は軽視される。

ただ、お分かりの通り、多数の意見が必ずしも正しいということはない。(でないと常識を疑う偉人の発見や過程は全て過ちだったというのか?)

多数の意見と異なる場合は弾劾裁判にかけられ否定されると「挑戦」に対してネガティブになり、発展への道は閉ざされる。

そしてこの功利主義は、一見正しく合理的にみえる性質のゆえに組織が大きくなればなるほど持ち出されて悪魔的な威力を発揮してしまう。

ただ、確かに個人の効用を多数化できる選択が吉とされるのであれば、1人の命より複数人の命を支持することが正しいかのように見える。こんな例はどうだろう。

軽症の患者が病院に運びこばれた。彼は通常の処置がされれば全く問題なく日常生活に戻れる。「急患です」突如10人の重病患者が運びこまれてきた。

なんと近くの工場で人為的なミスがあり、ガス爆発が起こったそうだ。ガラスが刺さり出血が多く、皮膚がむき出しになっている患者もいる。

このままでは全員助からないが、幸いにも全員重症患部が異なるので、移植処置により助けられそうなことが応急処置の中で発覚した。

病院長は言った。「これはまずいな、そういえば一人軽症な患者がいたな、彼には悪いがヒーローになってもらうしかないな」

さて、病院長は、軽症な患者を引き換えに、10人の患者を救おうと考えているが肯定されるべきだろうか。熱狂的な功利主義な彼には、1人の犠牲で10人が救われるのであれば全体最適に値すると考えている。

ただこれは正しくないように思える。ではなぜそう感じるのだろうか。ガス爆発が起きたことは運命で、罪のない軽症患者を悪戯に殺してしまうこと道徳的感覚に反するからだろうか。

無為自然に人工的なメスを入れることが直観的に許諾され得る事象ではないのであれば、我々の医療技術、テクノロジーは今後発展するべきではないのだろうか。