5分で哲学-自動政府-
「おい、聞いたか。昔はお偉いさんが政治を取り仕切っていて、法律や経済などを動かしていたらしいぞ。」
「おいおい、それは本当かよ。そんなので国が回るのか?今ではコンピュータが国民全体の幸福度が最適になるように自動計算して、法律も金利も税金も決定しているが、それも膨大なデータを蓄積しているからこそだ。人間のちっぽけな脳みそではそんなデータは入らないし、何をもって決めていたんだ?」
「全くそうだよな。でも昔の人はどうやらコンピュータに任せるのを管理されているみたいで嫌だと思っていたらしい。でもその代わりより人間が杜撰な管理をしているから一回破産したらしいぜ。」
「コンピュータが得意なことは任せればいいのに、皮肉なもんだな」
アニメ「サイコパス」に始まりジョージウォーエルの1984年などディストピア社会を描いた作品は枚挙にいとまがない。
サイコパスではまさに人工知能が犯罪係数という犯罪者へのなりやすさや適性を見極め職業や犯罪者予備軍を決定し、人間はそれに抗う術がない世界観を、1984年では全体主義的な中央管理的な世界観を描いている。
これらは人間の自由を損なう”悪”とされているわけだが、果たしてコンピュータが膨大なデータを解析して最適解を求める社会はよくないのだろうか。(1984年は国家独裁のナチを想起する為拒絶反応は仕方ないが)
我々は常日頃からより良い生活や自分にあった服や仕事を追い求めている。誰かに”答え”を教えてもらいたいから占いが成立する。(占いっつーのは本当に当たるのか..?)
で、あればコンピュータ様に確実な答えを教えてもらい、従えば完全なる幸福にたどり着くのではないだろうか。
「いや、なんかより良い答えは知りたいんだけど全て分かってしまうのはそれはそれで面白くないよね」と思うのであれば不確実性の中で自分で選択ができる現代は幸福ではないのだろうか。
天邪鬼な人間は結局、今ある世界観から飛び立ち、未知の領域を好む生き物で、全てが最適にできる世界観でも全てが自由な世界感でも満足しないのかもしれない。
今の人生に満足していない人間が、もしもボックスを使って全く違う社会で1ヵ月過ごして戻ってきたら、とてもウキウキ過ごせるのではないだろうか。