哲学をビジネスに。-思考武器の育成-

哲学、もっと言うとリベアルアーツ、教養を身につけることでビジネスで活躍、より生きやすくなる人を生産していきたい。

風刺画で学ぶ教育哲学

さて、今日は最近僕の中で話題の風刺画を用いて世の中に対するちょっとした閃きや今一度考え直すきっかけを作るコーナーにしようと思ってます。

1.求められる教育リテラシーとは

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現代教育の図

高度経済成長期を境に今の教育体制は整い、集団で同じ様に同じ事を学びましょうというまさに絵のような教育の構図が確立した。

先生が教室の中の小さな独裁者となっていて、先生の思考が正解でそれ以外は不正解とみなされる。

私自身小学時代から人と異なることをしたがる人間でしたから、謎にビンタされることもみんなの前で吊し上げられるような発言を受けたこともありました。

そこには多様性が容認される余地はなく"普通"が良いなのです。こんな奇妙な一般論がまかり通るのが近代教育の全体図です。

この教育体制がなぜ生まれたか

とはいえ、これは本当によく出来た仕組みでした。高度経済成長といえばトヨタに代表する、生産台数から逆算し必要な部品だけ輸入する、といった生産性が求められる時代で、如何に早く正確に指示されたことをこなせるかが最重要だったのです。

つまり「右を向け」と言えば右を向くような人間が好ましく、左を向くような人間が一人でも工場にいると全体がストップしてしまうのです。

そういった画一化された人間を量産するという意味では、”同じカリキュラムを同じ時間、同じ場所で受ける”聴講型の教育は理にかなっており、日本の生産性向上に貢献してきたわけです。

スピードで変化する環境

しかし、急速に時代が進み、80、90年代の常識はたった3,40年で非常識に変わる結果になりました。物質的に恵まれた環境によるコモディティ化、スマホの登場、終身雇用の終焉etc..

あらゆる環境が変化しました。180°変化したと言っても過言ではないでしょう。

それに比べて日本の教育体制はどのように変化してきたでしょうか?

ここで僕が現代に必要だと思う能力を少し上げてみると、

・既存では無い概念、物質を見出すアート素養

・他者や気持ちを慮る共感力

・まずはやってみる行動力&失敗力

ではこれが現代教育で培うことができるか、答えはNOです。なぜならこのようなスキルや思考はほんの数十年前には必要なく、現代で求められるようになったものだからです。

つまり必要な教育とやってる教育にとてつもなく大きなギャップがあるのです。ハンバーグを作りたいのにキャベツをこねてるようなものです。

とは言え僕は悲観論者でも、無駄なシニカル好きでもありません。この状況について見解はあります。

一つは集団聴講型の教育は今後ゆっくり廃れていくということです。一見同じ時間や場所を決定することで効率よく見えるこのスタイルも、一人ひとりの習熟度といった観点では非効率と言っていいでしょう。

出来過ぎくんとのび太が同じように話を聞いているのだからそれは自明です。

そしてこのソリューションの鍵は”サロン”です。画一化した教育ではなく、一人一人にカスタマゼーションした教育の選択肢を与えるのです。

イメージしやすいのは大学の履修かもしれません。色んな講座がありそれを自由に選択する、そして出席ではなく何を学んだかに重きを置くべきです。

出席することには何の意味もありません。これも慣習に従う真面目な人を生み出す為の前近代的な考え方です。

かつて松田松蔭が個人塾を開催したように、今ではホリエモンさんキンコン西野さん、落合陽一さんらがラボやサロンを創設し、そこでは社会人を含め多くの学生が学んでいます。今は高校生も自分でお金を生み出したり、能動的に学ぶことがあまり稀有な出来事ではなくなりつつあります。

この流れが中学や小学に浸透していき、やがて自分で興味のあるところで師を発見し、自分で学ぶということが当たり前の時代になるでしょう。

聞いた話だと近畿大学の附属校ではキャリアの授業が熱心に取り入れられているとのことです。こうして時流を読み、本質的な教育を行うように変革する学校は残り、過去の人材を育てる学校は淘汰されていくと思います。

そしてもう一つ、我々にはノブレス・オブリージュ(公貴なる義務)があります。つまり気づいた人が後世の人間を積極的に育てていこうということです。

自分への利害ではなく、全体が学校となり、全員が次の世代を教育する体制が好ましいと思っています。私自身キャリアには大きく関わってきました。

1年でのべ400人ほどの学生と接触するようになり、手前味噌ではあるものの「おかげで人生変わった」と感謝されることもしばしばあります。

でもこれは特別何か行ったわけではありません。同志を集め、徹底的にキャリアに携わろうと決めて、ありったけの時間を費やし、学生に向き合ってきただけです。誰でも出来ることです。

だからこそ、より多くの人に一人でもいいから自分が気づいた本質を伝えて言って欲しいのです。

2.SNSとの向き合い方

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SNSは怖いの図

最近僕は採用とマーケの分野でTwitterをよく運用していますが、良識のある人のみにフォローしているので問題なく生きています。しかし、SNSの状況はとんでもなく間違えていることもあります。

上の図は扉の鍵が開いていて、より大きな視点で物事を見ることができるにも関わらず、SNS(facebook)を通して覗いていることで視野が偏狭になってしまっていることへの風刺です。

ほとんどの人が1日の多くの時間をSNSに使っていると思います。意識的であれ無意識的であれ、目的の有無に関わらずスマホの画面を開いていますよね。

色んな情報が飛び込んでくると思います。その情報を鵜呑みにしていませんか?「えーそうなんだ」と思って次のツイートなり、投稿なりに進んでいませんか?

もし心当たりがある人は危険信号です。まだそこまでデマ情報に騙されて痛手を被る事は少ないかと思いますが、今後投資や転職する際にとんでもない情報に騙されるかもしれません。

例えば投資で行くと市場の掌握の為にわざとガセのネタを流して、株価をコントロールする人が沢山います。それに騙されて「この株買えって有名な人が言ってるから買おー」と従った場合はもしかすると多額の借金を抱える事になるかもしれませんね。

「自分には関係ないやー投資せんし」

そういう人に限って危ないです。つい最近も現代版バブル崩壊のような借金事件がありました。とある指定された不動産を買えばその不動産の運用は先方が行ってくれて、そこから生じる利益の10%(50万)を毎月送ってもらえるというもの。

文面で見たら「そんな怪しい、上手い話はない」と思うのが常だと思います。でも実際そういう情報を目にしたら一瞬だとしても「ほんとかな?」という思考が巡るものです。特に本業以外にキャッシュがない人は目を光らせます。

今回の事件の人へのインタビュー記事でも3人とも同じような話をしていました。気づいたら巻き込まれていた、と。

少し話が長くなりました。この章で言いたいのは自分で情報を精査できる力をつけましょうよという事です。

ツイートで情報を見て「ふむふむ」とシュッと次のツイートに行くんじゃなくて、これって本当かな?この単語の意味知らないな?と思ったらググる癖をつけるんです。大体のことは詳しく載ってます。それでもわからないことがあれば人に聞きましょう。

え?聞ける人がいない?

そうです。それが怖いところなんです。自分の持ってる情報が不確かな時に確かめることが出来ないというのが一番怖いです。

この風刺画の外を見るというのはよりマクロな視点を持って、より多くの確かめるツールを持って自分で情報をとりに行くということです。

回転寿司で流れてくる寿司よりも、注文した寿司の方が出来立てで美味しいですよね?

それと同じで自分でとりにいった情報の方が確かだし、使いこなせるものになります。

ただ流れてくるものを観察しているような上の図にはなってはいけません。自分で確かめられる様に、そして本当にわからない時に聞ける信頼できる人脈を作っておく事が必要です。

必要になってからでは遅いです。例えば詐欺などの事案は「もう今決めないと次の人に渡ってしまうかも」と巧妙に騙してきます。

だからこそすぐに自分ではっきりさせられる力をつけておくのが賢明です。